マイストーリー目次
①キャリアウーマンに憧れた!?←いまここ
②出来るけど、やりたくないお仕事
③美しき出会いと石橋、たたきまくる時代
④衝撃、のち変化、のちそれがデフォルト
⑤着物は、魅力を引き出すマジカルツール
子供のころ、思い描いていた人生がありました。
・いい大学に入って、
・有名な企業に就職して
・バリバリ働いて
・お金に余裕のある生活を送って
・退職後は海外で悠々自適、
これが、大学生までの私の人生プランでした。
私の実家は田舎だったこともあり、身近に「サラリーマン」みたいな人がいなくてね。
なにか、憧れがあったのかもしれません。
ちなみに、結婚願望はまったくなしでした。笑
小学校から高校まで、優等生キャラだった私。
クラス委員長とか、生徒会とかやってるタイプです
もちろん、先生にも同級生の保護者の皆さんにも、
抜群にウケがよかったことは、言うまでもありません。
高校では、国公立の文系を目指すクラスにいました。
しかし、祖父母や曾祖母が次々と他界したときに、
「人間、死んだらどうなるんだろう。
どうせなら、死んだ後も、形に残る仕事がいいな」
と急に思い立ち、文系から理系科目も選択。
形が残る仕事=建築家を目指します。
(この時点で、お金に余裕のある暮らしから、ちょっとずつ進路がずれていきます。笑)
大学は一流ではないかもしれないけど、一応、国公立に入りました。
大学に合格したことで大阪に出てきて、一人暮らしを始めます。
学生生活は、仲の良い友人もできて楽しいものでした。
でも、そのあとの就職活動はなぜか消極的。
大学は建築系に進んでいたけれど、そちら方面で働きたい会社が見つから無かったのです。
いや、探す気がなかったのかな。将来、やりたいことも見つからず。
バリバリ働きたいけど、どこで働くかは決まらなかったのです。
挙句の果てには、「このまま普通に就職とか、違うよね~」みたいに思っていたかも笑
どうした、バリバリ働きたい私!
結局、大学卒業後は、CADオペレーターとしてアルバイトをします。
しかし、ずっとアルバイトで生きていくわけには行きません。
その後、いろいろ検討してもう少し勉強することにしました。
そして、2年制の景観や都市づくりの大学院に入ります。
そこでの勉強や実習は、本当に楽しくて、充実した時間でした。
しかも全寮制で、みんなで寮暮らし。
楽しくないわけがない。
その1年目で、ふとしたことから思い立って、とある技術系の地方公務員試験を受けます。
その都市の試験問題だけが、マークシートじゃなくて、記述式でした。
なので、翌年の就活に向けて、何か得るものがあるかも、と受験したのです。
大学の時は、就活情報を集めるのすら、遅かったから、今度は早めに準備しようとしたんです。
そうしたら・・・
うっかり合格してしまいました。
最初は、断ろうかな~と思いました。
なによりこの学校の勉強を続けたかったのです。
しかし、就職氷河期だったこともあり、学校の先生たちには就職を進められました。
それと、親に生活費をもらっていたのが、後ろめたくて。
我が家は決して、裕福ではありませんでしたから、少しでも早く就職した方がいいかな、
なんて考えてしまいました。結局、地方公務員になることを決め、学校は1年で中退しました。
ここでの決断の過程は、鮮明に覚えています。
本当は勉強を続けたかったのに、そうしなかった「選択」。
これを、人のせい、時代のせい、環境のせいにして「妥協した」と思って、
この後、数年間過ごしていくことになります。
追い打ちをかけるように、この決断の直後、
大学の後輩から「先輩、なんか、まとまっちゃいましたね」と言われたことを、
はっきりと覚えています。
彼女に悪気は全くない笑。
ただ、痛いところを突かれたような気がしました。
「だって周りが行けっていうんだもん」と心の中で言い訳三昧。
そんなこともあり「10年以内に辞めてやる」と思って始めたお仕事です。
続く
