すべては祖母のおかげ

当たり前に美しい
大人のための一番シンプルで美しく楽ちんな着付け
着付け教室るりいろです。

今日は広島に原爆が落ちた日。
 普段あまり人に話さないことを書いてみたいと思います。

{D9104CD8-23A8-4053-86D6-EB7A2EB9828D:01}

祖母の判断  

大正生まれの母方の祖母は東京で看護婦をしていました。 
私が物心ついたときにはもちろん、引退していましたが
やけどした時など包帯の巻き方がとっても上手でした

 そんな祖母は
太平洋戦争終戦直前の1945年
広島市に看護の応援に行っていたそうです。

 広島に言った理由は定かではありませんが
3月の東京大空襲以後に行ったのではないかと思います。 
広島市内の病院にいたと聞きました。 

そして、これも理由は聞いていないのですが
たまたま1945年8月初めには東京へ戻ります
その時、広島に原爆が投下されたのです。

たくさんのお友達が亡くなった、と言っていました。 
東京に戻っていなければ自分も、と。  
その話を聞くたびに胃をつかまれるような
何とも言えない怖さがありました。 

だって、もしかしたら、もしかしたらですよ
母や自分は、この世に存在してなかったかもしれないのですから。
(母は昭和30年生まれです)  

太平洋戦争の勉強が怖い 

私は、小学生のころから太平洋戦争について学ぶのが嫌いでした。
社会科の授業が嫌だったな~ 
島根の小学校では修学旅行は広島に行くんだけど
必須は原爆の語り部さんのお話会 
これが苦痛。 
ただ、ただ、背筋が寒くなるんです。 
その理由は、まあまあわかっていて、
夏になると聞く祖母の体験談のせいだと思います。  

そんな、恐怖があり戦争の勉強が嫌いだったんだと思います。  
あの暗く黒いものの正体は
「死」そのもの死への恐怖のイメージだろうと
今は思います。   

大人になったからこその学び 

そんな祖母も亡くなり
私は30歳を過ぎてから急に戦争の勉強するようになりました。  
直接、この話を聞かなくなったので恐怖が薄らいだのかな。   

玉音放送の文字起こしを読んだり。
  教科書には、時系列で起こったことは書いてあるけど
「なぜ」、「どうして」ってあんまり書いてないなと感じていました。  

皆さんは、太平洋戦争が侵略戦争だったと信じていませんか?
 終戦の玉音放送の出だしを知っている方は多いと思いますが
開戦の詔はご存知でしょうか?  
こちらのデヴィ夫人のブログ記事もオススメ
1941年12月8日 昭和天皇陛下 開戦の詔書 | 

「ハルノート」の存在は知っていますか? 
ググれはすぐに出てくるので
ぜひ、この機会に調べてみてほしいと思います。 
そして、なぜアジアから植民地が消えたのか
考えてみてほしいと思います。  

軍隊は必要なのか 数年前、当時のトピックだったこともあり
近しい友人数人に「軍隊は必要だと思うか」
聞いたことがありました。 

SNSで発信されている人たちは結構、反対派が多くて
わたしももちろんそうなのだけど
 私の近しい人たちはみんな「必要」だと答えて
仰天したのを覚えています。  

理由を聞いたら「抑止力は必要だから」と。

 個人の価値観にどうこう言うことは普段は無いんだけど  
よくよく、聞いたらこの人たちに共通の項目は「歴史が苦手」でした笑 

 歴史上の偉人たちはみな言っています
「歴史は繰り返す。だから、歴史から学べ」と     

ちなみに神話も大事 
イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー氏は
「12・13歳までに民族の神話を学ばなかった民族は必ず滅びる!」 と言っています。 

日本で神話と言えば「古事記」 
皆さんはご存知ですか? 

ちなみに私を始め島根県民は神話好き
 神話の舞台が、あちこちにあって
とくに私の小学生時代を過ごした土地には
ヤマタノオロチの首を埋めた「8本杉」と言われる場所
オロチの住処といわれる川の淵
そんなところも身近でした。
(小学生のころ、8本杉でビックリマンシール 見せあってたな~)
  出雲大社も、国譲り神話の舞台だし。

あ、鳥取出身者と話して盛り上がったのですが
山陰以外の人は因幡の白兎とヤマタノオロチ知らないの?

山陰出身者あるあるで
因幡の白兎とヤマタノオロチは全国区だと思っていた
というのがあるそうです。笑    

祖母の願いは叶えられず

 さて、私が中学生か高校生だったころ
祖母は、広島の原爆記念館に行きたい、
と時々思い出したように言っていました。 
名簿(戦没者名簿?)にお友達が載ってるかもしれないから、と。

 晩年の祖母は喘息の発作をよく起こしていて
遠出はなかなか出来なかったんですが  
今思えば、連れて行ってあげたかったですね

当時、田舎の中高校生だった私は、行動範囲が狭くて
岡山から、広島市にぜんそく持ちの祖母と行くなんて
思いもよらなかったけど


ある人の戦争体験の文章にこんな一文がありました。 
「戦争の足音は遠くに聞こえていたと思ったが、
気づいたら自分のすぐ後ろにいた」 

軍隊を持つこと、武器を持つことが
平和に繋がると考える人がいるのも理解できます。

 それが早いし、効果もわかりやすいでしょうから。
 だけど、それは「足音が遠くに聞こえてる」だけではないのかな。 
外交とあらゆる内政だけて、平和を維持するのは、不断の努力を要し、
その割に効果が目に見えにくいことです。 
しかしどうか、いまが「戦前」になりませんように。

Related Entry

今年最後のお茶のお稽古

なぜ今、着物を着るのか

オープンしたばかりの中之島香雪美術館へ

はじめて男性にプレゼントされたのは??

着物のキレイの「基準」

ひな祭りを調べてみた! 神戸芦屋西宮 着付け教室るりいろ

PAGE TOP